著作権法がまた改正される。(ダウンロード罰則化) 【知財思うがままに】

罰則化を危惧する主張が多いが、著作権法は昔から業界の要請に基づいて変わっているのだから、とくにどうということはない。

 もともとつぎはぎだらけの法律とも言われている。

今回の改正の趣旨は、多くの人が有料コンテンツを無料で入手したり、頒布したりするので、前回の改正でそれを違法行為にした。 しかし実効がないので罰則化するということだ。 

近年できた映画の盗撮禁止(罰則)や、インターネットを使った遠隔地テレビ視聴サービス(罰則)などと同様だと考えればわかりやすい。

もともと著作権法は時代によって顕在化する業界の利益棄損問題を繕ってきた、つぎはぎだらけの法だ。

 だから頒布権とか、当時の状況を知らないと理解できない条文もある。 昔、映画はフィルムを巻いたロールを移動させながら興行するしかなかったので、それ専門の法だ。

法の設定当時にはなかった技術なので、それを取り締まる(規制する)条文が無いのだ。
 法律での問題ではなく、単なる利害の調整という必要もあるだろう。  たとえばコマーシャルが良い例だ。 地域限定の宣伝であっても、ネットではいちいち分けられない。

だから電子配信による新聞では、宣伝の部分が白紙になったり、差し替えてあったりする。 それを読むとなんとも味気ない。 たとえば週刊誌の見出しなどの宣伝も無いので損した気分になる、それだけ宣伝が大きな情報であったことがわかる。  インターネットラジオは、IPアドレスによって地域では聞こえないしくみまで入れている。  テレビでは録画機能が大幅に制限されていて驚く。 B-CASカードなども問題化している。

利害関係ばかり目立つので、著作権法は、その目的を「文化発展に寄与する」ではなく、「産業の発展に寄与する」と変更したほうがわかりやすい。  それが今回の違法ダウンロード罰則化でも見える。  ようするに効果が無ければ厳しくすると言う方向だ。  著作権法はどんどんおそろしい方向に向かっているような気さえする。

すでに、似たようなところで、肖像権がしっかり根付いている。  写真家は、人物が入った写真を自由に撮影できない。  人の表情、仕草などは、まさに文化そのものだと思うのだが、肖像権を主張されると公表できないことになる。

カメラマン受難の時代でしょう。  機器の発達により、誰でも写真を写せるようになったので、よからぬ場所に使う者があらわれ、それを奇貨としてまっとうな芸術までが否定されようとしている感がある。

悪貨は良貨を駆逐するという言葉そのままだ。  広辞苑(電子版第4版)では

○悪貨は良貨を駆逐する (1)「グレシャムの法則」参照。__参照_ (2)転じて、悪人のはび

こる世の中では、善人は不遇である。  とある。

まさに善人は不遇である状態が、著作権法の改正に言える。    ここで、一つ懸念するのは、著作権が強いものであるという認識ばかりが表面にでてくることにより、肖像権のように、撮される側(著作権者)が強くなりすぎることである。

昔は、ちょっとしたアイデアなどを考えると、「それ、私が先に考えていた。 専売特許を盗むな」などと冗談で言っていたものだが、今は「俺の著作権を取るな」ということだろう。 法律が出来ると、警察に言えば(親告すれば)警官が動くことになるのだ。  まさに文化の萎縮時代である。

産業の発展のために文化が萎縮する。 という日本語が成立するのだ。   そんな時代に善人はどうすべきか。  著作権のなんたるかを知って、その剣先から逃れるすべを、あるいは跳ね返す盾をもつべきでしょう。

それにより、著作権侵害の警告が来ても、「それは私も独自に考えた、創作したものです。」 「それは、著作物ではないので、権利がありませんよ。」 「法律に基づく引用です。」等と毅然として言えるように理論武装してゆこうではありませんか。

古来より前任者の著作物を真似して発展してきたのは事実なのですから。 著作物は文化の発展に寄与してきたのですから。

▼戻るindex ▲次へ    行政書士 矢澤清志

スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA