人工知能の発達は、知的財産とはなにかの原点を考えさせられます。

5/15日のテレビ番組、NHKスペシャル を見て知財について考えさせられました。
知の巨人ともいうべき羽生将棋名人を通して見た人工頭脳についての最新情報。

人工知能はAIなども呼ばれ昔から研究されているわけです。
ですが、自動運転とか、自動受付とかに使われるのだぐらいに考えていたわけです。
人工頭脳は、あくまで人間の補助的なものとして発展しているという認識です。
つまり、人は疲れてミスを生じたり、単純作業は辛い。 そこで休憩が必要なところをロボットが変わってくれる。という程度の認識でいたわけです。

人工知能
けれど、すでに人工知能はそういう段階ではない。 まもなく、否すでになのだろう、人工知能には人格とも言える個性が生まれるところにまできているようだ。
人と同じように、人工頭脳を搭載したロボットが、周囲の喜びに迎合して得意になる。
また、命令に従うことに抵抗を感じて悲しむ。
まさに子供の発達のような段階を経て能力が向上しているように見える。

休みなくデータを吸収してゆけば、おそらく天才、神格者と言われるような人の思考にまで進化してゆくだろう。
人工知能にデータを提供する必要すらない。
高度な人格者となった人工頭脳同士で、休みなく禅問答のような知の合戦をさせれば、極めて短時間に人智を遥かに超える考えを持つに至るだろう。

そうすると、人の人たる最後の砦であるところの、機械にはできない創造(創作)という分野にまで機械=人工頭脳が関与できるようになる。
江戸時代にして超絶技巧の絵師伊藤若冲氏は、自らの絵を1000年先(のち)に理解されると記したとされる。
しかし、すでに絵を分析する技術は人間より進歩していて、絵のデータを人工頭脳(知能)に教え(入力す)れば若冲の絵をさえしのぐ独創的な絵ができるのではないかとさえ思わせる。
そうなるともはや著作権者はだれか、などという段階ではなくなる。

人の興味を引く宣伝文句(キャッチコピー)、色使い、配置などはもちろんのこと、ありとあらゆる意匠、商標、といった産業財産権が人工知能によって創造されるようになる。
いわゆるアートの分野、小説、写真、音楽などの著作物すべてにかかわる。

人工頭脳を家電のように個人が持てば、自由に創作をさせることもできる。 そうすると、もはや著作権者は単にロボット(創作機械)の操作者になってしまう。 想像もつかない状況だ。
ただ少なくとも言えることは、現在の著作権法にある独自創作判断における依拠性(前作品に影響されること)には意味がなくなるだろう。
要するに、現状では全く同じような絵や音楽があっても、真似したのでなければ独自の創作者とされるけれど、そうはゆかなくなる。 (現在は、同じもの(著作物)があっても、真似していなければ、両方が同等の著作権者となる。)

ある作者が過去に見てきたようなの絵などを見せるだけで、その作者が書くような絵を人工頭脳が作るだろうから。
つまり、ある絵の作者が個性を得るにいたる状況を再現できるということ。
ゴッホのような個性を持った絵をAI(人工知能)が作る。 しかし、その絵と同じものは過去に存在しない。
 
こうやって事態を想像しているだけで、混乱してくる。 自分で書いていて矛盾していることに気づく。
ようするに、作者のクローン(複製)が存在することになる。

人工頭脳=機械が、作者と同じ思想感情を創作的に表現できるのであるから、人格(人権)の優位性は否定され、同じものでも依拠に無関係にそれぞれが著作物だ。
そうなると、著作権も発明(特許権)や商標(商標権)のようになるだろう。
著作権への登録制度、先願主義の導入だ。

 

2017年12月17日訂正加筆

 

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