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 著作権がある社会は面倒くさいか。
 作家、吉本ばなな さんの日記サイト(公式ホームページ)で、著作権を考えさせられた。

 といっても著作権には関係のない話(日記)なのだが、日常で、融通の利かない場面にでくわすと、実に住み難い(生きにくい)社会になったものだという感情が湧くが、それが著作権にだぶって浮かぶのだ。

 
 ----よしもとばなな さんの日記サイト「BANANA YOSHIMOTO」より引用------------------
 
 2001.11.07
 私にはちっぽけな入れ墨が二カ所あります。今まで、世界中のいろいろな風呂に行きました。
 
 「入れ墨はお断りなので出ていってください」と言いました。「それでは何かで隠します」と言ったら、「だめです、出てください」と言います。
     http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=5&yy=2001&mm=11 


 2009.08.04
 今日はエアコンと冷蔵庫と洗濯機が来る日

  配送業者さんがやってきて、冷蔵庫も洗濯機も階段の幅がどうだ、カウンターがどうのこうので入らないと言っている。成田さんがすかさず「手伝ってやるよ、カウンターを越えて運べばいいんだろ、男5人いたら簡単だ」とかっこよく言う。しかし先方は「お客さんに手伝ってもらうことはできない、だから、カウンターの手前に置くから、自分でやれ、こっちの人手は貸せない」などと言っている。
   http://www.yoshimotobanana.com/diary/2009/08/index_6.html

 ----引用 おわり------------------


 これらの例は、考え方一つで変わる。
 いいじゃないかと。 どう困るのだと。
 人によっては対応が異なり、問題ないですよと言われることだって考えられる場面だ。
 それが杓子定規に、マニュアル通りに否定される。

 法律に規定があれば、それは従うけれど、マニュアルなんて会社が勝手に決めたもの。
 まるで血の通っていない社会になったものだという気持ちが伝わる。
 
 それが著作権に良く似ているのだ。


 ・すでに放送したTV番組を、動画サイトにアップロードして何が悪いのだ。面白かったところをみんなにも見せて上げて、喜ばれるではないか。

  「動画の削除についてユーザーの視点から考えてみたい」 というブログ記事へのリンク
  http://www20.tok2.com/home/wees/diarypro/diary.cgi?field=1

 ・学校のプールの底に、漫画のキャラクターを書いて、いったい何が問題なのだ。
   小学校のプールにミッキー画を書いたことを調べたサイト記事
    http://tdr-3d.blog.so-net.ne.jp/2007-08-17



 著作権法は、そんなに細かく規定されているわけではありません。
 
 だから、勝手に判断される(できる)部分も多々あります。

 中には、問題無いもの(著作権が働かない)なのに、危ないからやめようという場面も考えられます。
 たとえば幼稚園での劇の発表でドラエモンはやめよう。 などとなるかもしれません。

 著作権は正しく理解して運用したいのですが、わかり難い部分もあります。

 それは、誰も審査する人がいない段階で、つまり創作したときに、もう著作権が発生しているなどということから、強い権利にしては簡単に取得できてしまうことにもあります。

 作った人は、権利を主張したいし、使いたい人は少しくらい良いではないか、あるいは権利なんかあるのかとなるわけです。

 さらには、知らなかったら問題ではない部分もあるわけです。

 だいたい誰がこんな法律を考えたんだとまで思いが至っても不思議ではありません。

 昔は、著作権法など無かったわけですから。

 有名なシェイクスピアの戯曲、「ベニスの商人」。 これは戯曲(劇の台本)ですから、もともと小説のようなネタがあったのです。
 それを元に勝手に脚本を書いて、舞台用にしたと言われています。

 当時は、現在のような著作権法などなく、人の書いた小説でも、自由に戯曲にできたわけです。
 それでは、勝手に戯曲にされた小説家がシェイクスピアに文句を言ったかというと、実は小説家も、物語の筋を別の本から得ていたりするわけです。

 (参考ブログhttp://jgil.blog58.fc2.com/blog-entry-11.html より引用:「『ヴェニスの商人』の場合は、ほぼそっくりそのままの種本があって、フィレンツェのセル・ジョバンニ作とされる『イル・ペコローネ(愚か者)』というのがそれ。

 この例は、人の経験(創作)を生かして、新たに自分のもの(作品)を作っているわけで、文化、技術の伝承でもあるわけです。

 人はそうやって生きてきたわけです。 
 過去の人々が築いた智恵や、物、言葉、歌、音楽。
 それらを覚え、まねし、やがて後世に伝える。
 それが文明というものだと思います。

 昔の智恵を少しずつ取り入れて、少しずつ変えて。 そうやって生きてきたわけです。
 画家だって、最初から偉大な絵を描いたわけではなく、模写という立派な勉強をしてきたわけです。

 だから、本当に、世の中の創作物に、純粋にオリジナル作品(独創)というものは極めて少ないのではないでしょうか。

 特許だって、最初に出願(公開)した人に権利を上げますという制度なわけで、それはつまり同じものを発明する人が何人も居るということが前提にあるわけです。
 (参考 :ウィキペディア 「アレクサンダー・グラハム・ベル」 電話の発明はベルと同時期に別の人が発明していた。 日本でも同時期に発明されていた。)

 そうすると、喧嘩になるから、早く自分の名で公にしたものに権利を上げましょうということが特許制度であるわけです。

 著作権だって同じで、同じようなことを考えたり表現したりする人が居て当然なのです。
 
 だから、部分的に取った、などというのは著作権侵害では無いと思います。
 全く同じ盗作、故意に一部を変えた模倣というものだけを著作権侵害とすべきでしょう。

 それでも、現実には漫画のセリフを歌に使われたなどと訴訟が起きるわけです。

 判決で、何度も繰り返し、「アイデアや事実の部分に著作権はありません」と裁判官が説いても、伝わっていないように思えます。
 
 著作権は、あいまいな法律ではありますが、これまでの判例でも相当に理解はできるかと思います。

 他人の著作物を使う場合には、許諾が取れれば良いのです。
 いかに許諾(了承)を簡単に取るかが課題です。

 著作権許諾法などを作り、ネットで簡単に出来るようにできないものかと思います。

 著作権には色々な問題もあるとして、著作権制度を否定する考えもあります。
 著作権をCOPY RIGHT(複製の権利)と英語で書きますが、COPY LEFTという考えがそれです。 コピーレフト:ウイキペディア

 コピーレフトは、あらゆる著作物を自由に使おうという考えです。
 (人の著作物を勝手に自分のものに出来るというものではありません、一定の条件のもとの自由利用です。)
 
 また、作品を自由に使って下さいという考えの作者は、クリエイティブコモンズという制度に参加して、商用利用でないならなどの条件を選んで自由に公開(使用許諾)しています。
  クリエイティブ・コモンズジャパン:http://www.creativecommons.jp/
 

 ソフトウエアも昔からフリーソフトに素晴らしいものが多々あります。
 使ってもらって、能力を知ってもらえる利点もあるわけです。

 とにかく、人それぞれ色々な考えがあるものです。

 そんなところを、冒頭の「よしもとばなな」さんの日記で感じました。



 この書込は、著作権制度の否定ではありません。

 著作権法の第1条目的にある「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与する。」という原点を見つめ直そうということです。

 2009.08.30


 何に著作権があるのかについての参考:
   (社)著作権情報センター  著作権Q&A http://www.cric.or.jp/qa/qa_index.html
 
自分の作品を使ってもらうのは許せるとしても、逆に他人から「盗んだ」とか、「俺のを真似したな」、などと言われるのはしゃく(くやしい)です。 
 良い作品を作ったら、本事務所のタイムスタンプ(タイムジャッジ)で防衛しておきましょう。
 

 

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