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 職務発明考 (しょくむはつめいこう)
2005-02-07 (月)

今回は、発明者寄りの意見を述べてみたいと思います。

 職務発明で、高額の対価を認容する判決が出る様になりました。

 これに対し社内の他の部門の者も努力して売り上げが出たのであるから、発明者にだけ利益を還元すべきではないといった意見が取りざたされます。

 曰(いわ)く商品が売れたのは、営業や宣伝活動のたまものだと。
 そして営業の者の苦労は報われていないと。

 しかし、そうでしょうか。 営業の方には苦労が報われる制度があるのではないでしょうか。 歩合給という。

 すなわち、営業職では売り上げに応じて歩合給が出る制度が普通にあって、売り上げに大きく貢献すれば社長を上回るほどの給与を得ることが普通にあるのではないでしょうか。(保険や、分譲住宅の歩合給で億を超える年収を得る営業マンの話はめずらしくないと思います。)

 どんなに高給になっても、営業マンによる売り上げの過程は非常にわかりやすいので容認され、羨望されることはあっても誰にも文句は言われません。

 実際その人がいなければ、その人でなければ売り上げは無かったわけですから。
 単純に自分で売り上げた中から正当な歩合を頂戴しているにすぎないわけです。

 ところが、その営業マンだけでなく会社の社員皆が、我々もなんらかの貢献をしているのだから、歩合給をやめて利益はみんな分配しましょうとなったらどうでしょうか。

 庶務の人も電話の受継とかしているし、受付も好意的な対応をした、等々
おそらく結果として、営業マンのやる気が損なわれ、全体として売り上げが減るでしょう。 あるいは他社へ引き抜かれるかもしれません。 

 そうすれば会社としての収益も減って、営業マンの歩合だけでなく、営業以外の人の給与も下がってしまうでしょう。

 営業マン曰く、「私は寝る間も惜しんで常に顧客のことを考えているのだから、いつも残業しているようなものだ。 それに私だけのノウハウで売り上げが伸びていたんだ。」と

 では、これを技術開発に当てはめるとどうでしょう。 研究者は寝る間も惜しんで研究に没頭しているでしょう。 あるいは常に発明のことが頭から離れないでしょう。

 そしてその人でなければ持っていない数多くのノウハウを使ったでしょう。
 いくら会社の設備を使ったとしても、誰でも同じ設備を与えられれば発明ができたとは言えないですね。

 やはり発明は非常に個人の資質に影響される部分が大きいわけです。
 これは優秀な営業マンに誰でもなれるわけではないのと同様です。

 新聞記事1 新聞記事2 新聞記事3
 ただ貢献度は非常にわかりにくいでしょう。
 だから、わかりやすい営業マンは高給で良く、貢献していてもわかりにくい者には報いない、ということになるわけです。 これは自然な流れです。

 それで、これでは産業の発展に資さないということで、法律でわざわざ対価を与えなさいとされているのです。

 ところが、これがほとんど機能していなかった。 研究者は単なる一従業員としての地位ですし、研究者自身、失敗するときもあるからと甘んじてきたわけです。

 みんな自分の会社に楯突くことはできません。
 では自分で出願して自分で特許をとればとなると、厳重な職務規定でしばられるわけです。

 だから今提訴している人は、ほとんど退職者です。
 そしてようやく、職務規程や発明規定の変更が取りざたされています。
 しかし本当は社会の発明に対する偏見がなくなることを願います。

 その目安は、あの「中松義郎」さんが好奇の対象者としてではなく、純粋に偉大な発明家として尊敬されるような社会です。

 せめて米国のようにです。

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